瑶林院様は肥後国熊本で、虎退治で有名な加藤清正公の娘として生まれました。八十姫と呼ばれた才色兼備の方で、藩主頼宣公のご正室として紀州に迎えられます。残念なことに生涯子どもには恵まれませんでしたが、側室の生んだ光貞公を我が子同然に熱心に養育されたそうです。
その教育はしっかりと実を結び光貞公は文武に秀で、領民からは名君として慕われました。由比正雪の乱の影の黒幕との噂もあった南竜大神頼宣公を父に、そして八代将軍となる吉宗公を子に持ちます。傑出した人物の間でその存在感は少し希薄ですが、法律の整備に努めたりして紀州徳川家の礎となる働きをされた方ですね。
恩に報いるための報恩寺。瑶林院様と光貞公の仲の良いご関係が、ほんのり淡く透けて見えるようですね。熱心な法華信者であった、瑶林院様のために建てられた日蓮宗の寺院です。
この寺には光貞公のご正室の天真院様と、5代藩主吉宗公のご正室寛徳院様も眠っておられます。特に寛徳院様は初産にして死産、さらにご自分も産後の肥立ちが悪くて20歳という若さでなくなられました。吉宗公の治世は兄二人に続いて、自分の妻子もなくすという家族的不幸から始まったわけです。
なお、紀州徳川家は吉宗公が将軍家となりましたので、光貞公の弟の家系である伊予西条藩主松平侯が紀州徳川家を相続することになります。
報恩寺は寺町通りから、少し和歌山城に寄った場所にあります。不思議なことに、門内に一歩入ると心静かで穏やかな気持ちになります。瑶林院様のご人徳なのでしょうか。
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この記事へのコメント
勝海舟
Z31
最近自分がメインに巡っている安房里見氏の菩提寺等は、駐車場や周りの道も狭い所が多くて大変です。
門の所にある葵の御紋は変わった色をしていますね。
材質が気になります。
しじみ
には出来ない重みをかんじます。
葵の紋どころ、本家とは違うのでしょうか?
それとも女紋なのでしょうか?奈良には歴史が沢山憧れの地です。
唐丸
確か墨田区だとおもいましたが、報恩寺が在ります。
全国に同じ名の寺院は沢山ありますね。
江戸の報恩寺橋には長坂猪之助友雅という
彫物師の名人が住んでいて、
門人も数多く長坂家(後藤流)幕末の隆盛に貢献しました。
現在の建物は戦災で焼失しております。
庵主
先週は毎日のようにABC・TVでこの報恩寺も含めた徳川御三家ゆかりの史跡・社寺の放送をしていましたよ。それも、mikomaiさんがブログに取り上げた処ばかり。まさに「歴史街道・ロマンの旅」ですね。次を楽しみにしています。
田舎のオヤジ
和歌山にはまだ足を伸ばしたことないですね三重県までですかスペイン村まで後は伊勢神宮で写真撮ってタラひどく叱られましたー、神官だけ撮っていたのですが入り口の、三重ですと伊賀焼きとかお隣の信楽焼き
などがあったような気がしますが、焼き物は宝石のようですね同じ物がなく釉薬のかもし出す色はほんとに素晴らしいですね、最近志野焼きを手に入れ観賞しています。コメントありがとさん。
mikomai
ありがとうございます。紀州は暖国ですので、雪はほとんど降らないですヨ♪^^房総半島とは黒潮の海路で、昔から人の往来も盛んです。田沼氏は紀州藩の軽輩クラスから、一時は老中までなった家ですから大した出世ですよね☆
mikomai
ありがとうございます。山間のお寺が多くて、地図上でも狭そうに感じましたヨ♪^^葵紋の材質は確認しなかったのですが、左右にある同様の材質の小さな葵紋は釘で打ち付けてありますた。おそらく金属製ではないでしょうか☆
mikomai
ありがとうございます。そう大きくはないのですが、なにしろ風格があるお寺ですね♪^^はい、三葉葵は将軍家とは区別されていて、これは紀州葵です。尾張と水戸も葉が少しずつ違いますが、一目では到底見分けがつかないですね☆
mikomai
ありがとうございます。仰るとおりです。寺の名前は宗派を越えて同じような寺名を使用されるのでややこしいです♪^^社寺彫刻の後藤流は、なかなか有名な一派なんですね。検索したら唐丸さんのブログが、ヒットしましたヨ☆
mikomai
ありがとうございます。紀州徳川家にゆかりの場所は限られていますから、これはNHKよりも先回りすることが大切ですね♪^^奈良はネタの宝庫なので写真は撮りだめていますが、説明能力不足で宝の持ち腐れ状態に陥っております☆
mikomai
ありがとうございます。寺社仏閣には、撮影禁止の場所もあります。明るい場所だとこっそり撮影も可能ですが、禁止場所はたいてい暗くてフラッシュでバレバレですね♪^^焼き物の釉薬も、秘中の秘ということが多いですね☆
コケコ
当時のことが今再現されて 建物や木の間から人物が出てくるよう。。。歴史は人の歴史から誕生するのだということが 少し解ってきた。。。mikomaiさんの歴史の語りがいいからだね♪
mikomai
ありがとうございます。お寺の話は暗い印象になりがちですので、できるだけ温か味を感じていただけるように気配りいたしました♪^^今後は建造物の説明よりも、関係する人物像に重点を移してご紹介したいと考えています☆
冬の月
光貞公、頼宣公の知識、勉強になりました。それにしても早くに亡くなられた方もおられるのですね。以前、岩国に行った際、吉川家のお墓を見に行ったのですが、若くして亡くなられた方の多いこと・・命とは、寿命とはを考えさせられました。。
mikomai
ありがとうございます。吉宗公のご正室の寛徳院様は、伏見宮家という皇族のご出身なんですヨ♪^^お若いのに、本当に残念です。しかし、徳川中興の祖と仰がれる吉宗公の活躍の原点は、寛徳院様だったような気がしますね☆