文久3年 軍艦奉行勝安房守 紀州藩海岸防衛工事監督のため 幕府より和歌山に派遣せられし時 此処に寓居す 時に門下坂本龍馬も亦来りて事に従ふ
海舟が神戸操練所の運営をしていた頃ですので、神戸から来て数日間滞在しただけのようですね。坂本龍馬もその仕事を手伝ったと記されていますが、後に起こる「いろは丸沈没事件」の賠償問題で紀州藩は龍馬に煮え湯を飲まされることになります。
石碑の建っている所は、南海和歌山市駅のすぐ近くにあります。逗留場所はもう少し川に寄った、両替商清水平右衛門宅だと伝えられています。
維新後、勝海舟は伯爵に叙せられ参議・海軍卿に任ぜられますが、まったくその関係の仕事はしなかったようです。ただひたすら、旧幕臣達の生活を見守ることに専念していたように思います。静岡の茶畑や横浜港関係の仕事に、多くの幕臣を斡旋したという事実が海舟の人柄をあらわしているようです。
海舟の家は嫡男の急逝もあり、孫娘に徳川慶喜公の十男を婿養子に迎えています。現在の勝海舟のご子孫は、男系で言うと徳川家なんですよ。当の慶喜公は維新後静岡で陽気な公爵様として、カメラなどの趣味三昧の生活をしています。海舟とは正反対に、旧幕臣の生活にはまったく無関心だったようですね。
こっちから見ると庭石の影に隠れてしまって、石碑には気づきにくいですね。伝えられる勝海舟最期の言葉とともに・・・☆
「これで、おしまい」
mikomai 目次
この記事へのコメント
風子
勝海舟の創立したものだと、バスガイドさんが言っていたのを、思い出しました
歴史もいろいろな角度から見ていくと結構面白いものですね・・
コケコ
ちょっと勝海舟に興味沸いてきた。。。
な~んにも知らないのでただただ頷くのみ(笑)
へーそうだったのね、勝君は。。。そっか!!
しん
パーキングにしょっちゅう駐車しますが
こんな所にこんなもんがあるとは???
これはほんまに知らなかったです。
めっちゃびっくりしました♪
和歌山は御三家でしたのでいろんな方々の
足跡が残っているんですね♪
ほんま勉強になります♪
のん
海舟、龍馬といえば薩摩藩にも関係があ
るので気になる人物です(笑)
それは置いといて^_^; 「これで、おし
まい」が最後の言葉・・いかにも海舟が
言いそうな言葉だと思いました(ドラマ
や本でのイメージですが)目一杯生きた
海舟だからこそ言えた、と思います。
SHIGE
私は歴史音痴でよく分かりませんが、海舟はこんな任務もこなしていたんですね。
維新後の海舟の人生が興味深かったです。
mikomai
ありがとうございます。はい、この間のお伊勢さんの時ですね♪^^三重にある船関係の学校ですと、鳥羽の商船高専のことかな?鳥羽商船も勝海舟が、関与していたとは知りませんでした。日本中の船関係の学校は、勝海舟が関与しているかもしれませんね☆
mikomai
ありがとうございます。なんだかコケコさんの同級生のような感じですね♪^^勝海舟は和歌山とは無縁の存在だと思っていましたが、和歌山に来ていたとは驚きました。昔の人の行動範囲も、けっこう広いものですね☆
mikomai
ありがとうございます。これは普通、地元の者でも知りませんよね♪^^特に左車線の時は庭石だけしか見えませんので、すごく気づきにくいと思います。和歌山に勝海舟が来ていたとは、ほんとに驚きましたね☆
mikomai
ありがとうございます。和歌山には坂本龍馬の海援隊に入っていた人物もいるんですヨ~♪^^紀州藩士伊達小二郎、後の陸奥宗光伯爵です。近々採り上げますので、よろしくです♪海舟の最期の言葉には、やるべきことはすべてやり終えたという充実感を感じます。やはり、大人物ですね☆
mikomai
ありがとうございます。SHIGEさんのよく撮影されている横浜港にも、勝海舟は深く関与しているようですね♪^^多くの旗本御家人を、横浜港関係の仕事に就かせています。今回は海舟のあまり知られていない部分に、スポットライトをあててみました☆
庵主
勝さんが和歌山にも足跡を残しておられましたか。今風に言えば、神戸から工事現場へ監督のために数日の出張をしたと言うことですね。
それにしても、石碑を邪魔する庭石の何と無粋なことでしょう。どちらが先だったのでしょうね。
みんと
エピソードがたくさん残されていますよね。
みんとは勝海舟好きです。
尾ひれ背びれが付いていることを差し引いても
彼が幕末にやった功績は大きいと思いますし
何よりも、彼がいなければ
維新の英雄・坂本竜馬の
大仕事はならなかったでしょうから。。。
彼は掛け値なしで
日本を救った偉人の一人だと思います♪
人生ゆっくり
近世の人物ですから、その辺り、解明されていると思いますが・・、簡単にそのようにさせないところが・・、この人の傑物たる由縁でしょうか・・ね。
mikomai
ありがとうございます。まさに、仰る通りの状況だったでしょうね♪^^幕命で仕方なく、嫌々来たのではないかとすら思えます。石碑には昭和15年と刻まれていますが、当初は他所に建っていました。この場所に移動した時に、同時に庭石も設置されたように思いますね☆
mikomai
ありがとうございます。あの型破りな坂本龍馬が慕っているくらいですから、やはり通常のモノサシでは測れない人物だったのでしょうね♪^^勝海舟の成し遂げた業績は、彼だけにしかできない仕事だったように思えますね☆
mikomai
ありがとうございます。幕末の頃から評価が二分されていた原因は、勝海舟が成り上がり者だという周囲の先入観が大きいように思いますね♪^^幕府内での評価は低く、むしろ他藩での評価のほうが大きいのはそれが原因ではないでしょうか。維新後も上手く立ち回ったというように、やっかみ半分の評価が多そうですね☆
タイキ
mikomai
ありがとうございます。はい、興味はあるのですがリンクされていないので、連絡の取りようがございません。。。
またご連絡いただければ、幸いです☆^^
タイキ
携帯メールに連絡いただければと思います。
写真・母屋の間取り・関連資料などもってます。
携帯にメールにいただければと思います。
アドレス:andoreia2006@softbank.ne.jp