名草山の弁天堂

前々回の不思議な鳥居の向こうにあったのは、紀三井寺の弁天堂。参詣客でここまで登ってくる人は、ほとんどいないのではないかと思います。この日も、案の定誰もいませんでした。 紀三井寺は、名草山の西側にあります。過去記事から引っぱりだしてきた、片男波から撮った名草山の写真です。はるか昔、この名草山を中心とした名草王国があったとの伝承を聞いたことがあります。古代ロマンを感じさせる姿の美しい山です…

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風のゆくえ

和歌浦の不老橋です。海から風が吹いてきて、水面が揺れはじめました。この風は、どこに行くのかな? 風はすぐに、近くの鏡山にぶつかって四散します。その一部は「和合の松」の下をかいくぐって、塩竃神社の小さな境内に侵入してゆきます。 ご祭神は塩槌翁尊(しおつつのおじのみこと)で、海産物と安産の神様だということです。海産物と安産の関係が、よくわかりませんが、魚は安産ということなのかな?…

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桜とゴジラとガメラと

以前ご紹介した養珠寺釈迦堂の近くに、桜の花が咲いていました。3/29に撮影したものですが、ゴジラとガメラも相変わらず金剛力士として活躍しています。 タイトルは明らかに、金子 みすゞさんの有名な詩「私と小鳥と鈴と」のパクリですね。この詩には曲もつけられていて、YouTubeにも色々ありました。合唱形式のものが気に入ったので直接貼付していたのですが、YouTubeの表示が遅いためテキストリ…

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猊口石と李梅渓

猊口石は、ゲイコウセキと読みます。なにやら虎目石のような名称ですが、ご覧の通りの大きな岩です。 和歌山市指定の史跡ですので、都合の良いことに和歌山市教育委員会の説明板があります。写真をクリックすると多少拡大しますので、読みやすくなるかと。。。 こちらが、その李 梅渓(りばいけい)の筆となる顕彰文字ですね。李 梅渓は紀州藩の儒者として、二代藩主光貞公の学問の師でした。後に光貞公…

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守護神島

養翠園の守護神島と太鼓橋です。北の庭からの三ツ橋とあわせて、庭園の中核部分を構成しています。 庭園の東側から眺める三ツ橋と守護神島です。中国の西湖を模したと伝えられ、中国式の直線的な護岸が特徴なんですね。 守護神島におわす神様とは、いったいどなたでしょう?だいたいの予想はつきますが。。。 神殿の前から三ツ橋を振り返ってみた景色も、天神山を借景になかなかのものです。 …

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雑賀城址に残る不気味な塔

紀州雑賀城址である、和歌浦妙見山にそびえたつ不気味な塔。現在廃墟となっているこの塔は、いったい何だったのでしょうか? 妙見山麓にある養珠寺付近からも、はっきりと眺められますね。この塔は、妙見山北の尾根にあります。小さな鳥居は弁財天堂で、その奥にある思斎井の横から登ります。 途中で南の尾根にある妙見堂と、道が別れます。このあたりは尾根の頂上部分が開けており、城跡らしい雰囲気が濃…

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養翠園北の庭

養翠園庭園のうちから、「北の庭」と呼ばれる部分です。写真中央の形の良い山は、和歌浦天満宮のある天神山ですね。守護神島に北から架けられている三ツ橋までが、今回のコースです。 左側には道路があるため、ウバメガシ(和歌山県の木)の生垣で仕切られています。ウバメガシは、紀州備長炭の原木でしたね。現庭園は10,000坪ですが、元の庭園はもう少し広く17,000坪あったそうです。 天神山…

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湊御殿~紀州徳川家別邸~

紀州徳川家の別邸、湊御殿です。現存しているのは寝殿部分だけで、養翠園に移築保存されています。養翠園の第3弾ということになります。 今回は都合の良いことに和歌山市教育委員会の説明板がありましたので、写真の間に原文のまま引用することにいたしましょう。では、説明板さん、よろしくお願いいたします。 湊御殿(みなとごてん) 和歌山市指定文化財(建造物)1棟 昭和42年2月14日指定 湊御殿は…

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養翠亭の左斜め御廊下

回遊式庭園養翠園の一角にある、紀州徳川家の御茶屋養翠亭です。養翠亭前の池は、潮の干満を利用して海水を取り込む汐入り池ですね。以前ご紹介した「養翠園表門」の続編です。 こちらが、左斜め登り廊下です。一見しただけではわかりませんが、廊下部分が和歌山城の御橋廊下のように傾いています。この写真では、傾いているというi印象はありませんよね。 ところが。このように真横から見ると、傾いているの…

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和歌浦大平橋の現状

奠供山と雲蓋山の間に架けられている大平橋です。以前、「神仏の架け橋」として、ご紹介したことがあります。近くに行った折に、少しだけ橋の上を歩いてみました。 予想通り、草が生い茂っています。やはり、ほとんど使用されていないようですね。向こうに見える山は、雲蓋山です。蛇がいないかどうか、木の枝で掻き分けながら。。。 橋の中央付近は意外に草は少なかったのですが、なぜかこのような穴が・…

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歌姫大神と木の葉大明神

歌姫大神や木の葉大明神と彫られている、なかなかユニークな石碑があります。そんな神様がいたのかなぁと、ちょっと考えてしまいますね。 石碑の裏には、建立年月も彫られていました。そんなに古いものではなく、歌姫大神が昭和31年11月3日。木の葉大明神が、昭和48年7月吉日と彫られています。吉日と彫られていることから、墓碑ではなく記念碑のようなものではないでしょうか。以前ご紹介した秋葉山の大権現…

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檜皮の葺き替え~和歌浦天満宮~

和歌浦天満宮(正式には天満神社)ご本殿の檜皮が老朽化していましたが、その檜皮の葺き替え工事が終了しました。今、檜皮葺きはヒノキの大木の減少と、檜皮を採取する原皮師(もとかわし)の後継者不足という難問を抱えています。 それゆえに檜皮は高価になりすぎて、やむなく銅板葺きに変更せざるを得ないケースも多くなってきているようですね。檜皮について関心のある方は、次の日本特用林産振興会のHPに詳しい説明…

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夾竹桃と向日葵~和歌浦御手洗池の夏~

和歌浦の御手洗池です。池の周囲には、このように夾竹桃が植えられています。 紀州東照宮に最も近い場所には、まだまだ向日葵が咲いています。 ご参考までに、地図を貼付しておきます。 この百日紅は御手洗池のものではなく、和歌浦天満宮の鳥居近くに咲いていた百日紅です。 夾竹桃と百日紅は、ほとんど同じ時期に咲くようですね☆^^ mikomai       目次

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弁財天堂に吹く風

生垣に埋め込まれたような、小さな明神鳥居。鳥居越しに見える石塔は、なんと・・・墓石?その石塔には、三葉葵のご紋が彫り込まれています。ここは、かつて雑賀城のあった妙見山北麓にある、養珠寺境内の弁財天堂です。 弁財天は元々ヒンドゥー教の女神で、音楽の神さまです。いつの頃からか弁才天の名で、技芸を司る天部として仏教経典に取り込まれたわけです。「才」が「財」に通じるところから、これまたいつの間にか…

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神仏の架け橋

和歌浦の奠供山と雲蓋山に架けられている橋です。わざと逆光で撮って、後光が射しているように見せかけています。だから神仏の架け橋という、いつもの安直な趣向とはちょっと違います。 奠供山には玉津嶋神社があり、雲蓋山には天台宗の雲蓋院があります。ご参考までに地図を貼付いたしましたが、この橋は航空写真にもシッカリと写っていますよ。 この橋の名称は大平橋といい、このように架けられています。向うの…

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雑賀城址~和歌浦妙見山~

思斎井のある場所から少し登ると、すぐに妙見山の頂上に着きます。現在、ここも養珠寺の境内地ですが、妙見堂が建てられています。この明神鳥居の中央一直線上に、養珠院様にゆかりの深い妹背山の海禅院多宝塔があります。鳥居が向けられてある先まで、よく考えられているものですね。 ここには戦国時代に、紀州雑賀党の本拠地である雑賀城があったと伝えられています。妙見山城とも呼ばれますが、今はその面影すらあ…

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養珠寺釈迦堂~最強の金剛力士像~

和歌浦の養珠寺釈迦堂です。両側にあるピンクの紫陽花付近を、よ~く注目してくださいね~。 ゴジラとガメラの石像があります。さしずめ口の開き加減から、ゴジラが阿でガメラが吽の金剛力士の代わりでしょうか。これは、史上最強☆こういう茶目っ気のあるお寺さんは、親しみやすくて大好きですね。 紀州徳川家初代の頼宣公の実母養珠院様(お万の方)の菩提を弔うため、頼宣公が建立したものです。釈迦堂の軒瓦の…

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思斎井に咲く紫君子蘭

紫君子蘭の奥に、思斎井はありました。アガパンサスが正式な名称のようですが、別名の紫君子蘭のほうがこの景色には似合っていますね。根の強さから土の流出を防ぐため、斜面などによく植えられているそうです。 この石碑に思斎井について詳しく記されているようですが、もはや文字がはっきり判読できません。ということで、今回は、まったく解説もできません。。。ちょっと、時間をかけて、読んでみたいと思っていま…

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侍坂のむこうに~紀州東照宮(後編)~

権現山の中腹にあるご本殿には、108段の侍坂(さむらいざか)を登ります。ここから楼門を見上げると、門の中がまばゆく光輝いて見えますね。侍坂は源頼朝の鶴岡八幡宮造営時の故事にならい、南竜公が自ら指揮を執って士分以上の侍だけで組み上げたことに由来します。 国指定重要文化財の楼門です。楼門の中の光が、だんだんと強くなってきたように感じますね。このような光の効果も、あらかじめ計算されて造られて…

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和歌浦随一の名所~紀州東照宮(前編)~

和歌浦の紀州東照宮です。関西の日光と称され、和歌浦随一の名所とされてきました。名匠左甚五郎の彫刻や、狩野探幽の襖絵があります。西日光の代名詞は尾道生口島の耕三寺にとられて、ちょっと影が薄いようですね。 ご祭神は東照宮ですから、もちろん東照大権現徳川家康公です。あわせて、南竜公と敬称された徳川頼宣公が、南龍大神として祀られています。 境内入り口の灯篭にも、紀州葵のご紋が散りばめ…

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天神山から

天神山からは、思いのほか視界が開けていました。大峯奥駆道の「西の覗き」風に「天神の覗き」としたかったのですが、どうも「覗き」だけが独り歩きしそうなのでごく普通のタイトルで。 まず西の方に目をやると、紀州侯別邸の養翠園が見えますね。沖の貨物船の向うに薄っすらと見える島影は、四国の徳島です。この写真は、クリックで少し拡大いたします。 さらに左のほうには、ここよりも高い山があります。す…

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権現山から天神山へ

和歌浦東照宮のある権現山から、和歌浦天満宮のある天神山に向かう山道です。この地点は、すでに東照宮裏の権現山の頂上付近です。石畳が敷いてある場所は、別れ道のある場所を示しています。 地図でマークの入っている辺りです。ここから西へ、天神山までのコースです。航空写真の右手の建物が和歌浦東照宮で、左手が和歌浦天満宮です。 この山道も森林浴を、充分に楽しむことができます。まだ樹林に覆われて…

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和歌浦万葉館

塩釜神社からあしべ橋を渡って西進した突き当たりが、砂州でできた片男波です。その片男波の付根部分にある現代建築が、この和歌浦万葉館で健康館が付属しています。 ここでは実写映像の万葉シアターが観られ、万葉の頃に紀伊国で起こった事件を山部赤人が回想するという趣向です。また、有間皇子の悲劇も、里中満智子さんのイラストでわかりやすく説明されています。 こちらは遊具広場で、子供連れの家族…

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浜昼顔と八魂歌碑

片男波にあった浜昼顔です。この浜昼顔を見つけたあとに何気なく松林の中を覗くと、なにやら立派な石碑が見えました。その石碑が、八魂歌碑だったのです。 自がわざを 磨けとひびく 浦波に 籠もりて八つの 魂眠るなる 傍らの説明板に、詳しく記されていました。旧制和歌山中学のボート部員八名が、この片男波からボート明光丸を紀ノ川に向けて回漕中に遭難したそうです。その八名の鎮魂のための歌碑だ…

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万葉の小路

片男波の東側にある万葉の小路(まんようのこみち)です。万葉集のうちから和歌浦を詠んだ六首が、五基の歌碑として配置されています。万葉の小路は、この東屋のある小さな日本庭園から始まります。 若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺を指して 鶴鳴き渡る  (山部赤人) 玉津嶋から三断橋と観海閣のある妹背山の遠景です。和歌川の河口部で干潟が発達していますので、潮干狩りも楽しめます。このよう…

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片男波

片男波(かたおなみ)は、和歌川の河口にできた砂州半島です。長さは約1,200mあり、和歌浦湾に突き出しています。遠景の山は、展望台のある章魚頭姿山(たかずしやま)ですね。 若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺を指して 鶴鳴き渡る 万葉歌人山部赤人に詠まれた歌の「潟を無み」が、その語源とされています。案内図をご覧ください。西の和歌浦湾側が片男波海水浴場で、東の和歌川側が万葉の小路…

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五百羅漢寺の山門

秋葉山南麓の和歌浦東にある、曹洞宗五百羅漢寺の山門です。こちらも紀州徳川家に所縁のあるお寺で、明和元年(1764年)に8代藩主重倫公により建立されました。ご本尊は、重倫公のご母堂清信院様です。 福井の大本山永平寺の直系の直末寺院だそうですね。本堂にはご本尊様をはじめ、その名のとおり五百羅漢像が祀られています。羅漢像の多くは、西浜御殿の奥女中やその関係者から寄進されたものです。 …

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秋葉山からの眺望

秋葉山展望台からの眺望です。山の形状や位置さらに標高が低いこともあって、和歌浦の章魚頭姿山のような360°のパノラマはとても望めません。しかし、ここからでも淡路島が、はっきり見えました。 概ね西の方角を眺めています。遠くの島影が、淡路島ですね。海岸線の近くに見える防風林のようなものが、以前にご紹介した水軒堤防です。この方角だけが、樹木に遮られずに眺望できます。 これは南のほうを眺…

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養翠園表門

国の名勝指定を受けている、紀州徳川家の西浜御殿付属の養翠園(ようすいえん)の表門です。約1万坪の大名庭園で、NHKの大河ドラマ『八代将軍吉宗』のロケ地として使われたこともあります。 第10代の紀州藩主徳川治宝侯の命により、庭園全体が中国の西湖をモデルとして造られたようですね。海水を庭園の池に取り込む汐入り池が特徴で、汐入り池を有する庭園は東京の浜離宮庭園とこの養翠園だけだそうです。 …

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梅花紋と梅鉢紋~名残の梅~

天満宮の代表は、やはり大宰府天満宮と北野天満宮がその両雄です。どちらも独立の創建経緯を持っており、勧請関係もなくそれぞれ天神信仰発祥の地とされています。両雄並び立たずとよく言われますが、両雄が並び立っている良い一例ですね。 では、昨日の続きです。和歌浦天満宮のこの灯篭の紋は、梅鉢紋に分類されます。梅紋は梅花紋と、梅鉢紋に大別できます。梅花紋は写実的で美しく、梅鉢紋は円の集合体のように図形化…

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