大神神社の大鳥居

奈良県桜井市三輪にある大和国一ノ宮、大神(おおみわ)神社の大鳥居です。 特殊鋼でできた巨大な鳥居で、高さは32mあるそうです。鳥居の下を走る車が、小さく見えますね。 この大鳥居は、大神神社の一ノ鳥居ではありません。 昭和天皇のご親拝を記念して建てられたもので、明神鳥居の形をした巨大なモニュメントと言ったほうがよいかもしれませんね。 大神神社については、また別の機会…

続きを読む

采女神社と采女祭

猿沢池に残された悲しき伝説。 采女(うねめ)としか記録されておらず、本名はわかりません。悲恋の末、猿沢池に身投げしたそうです。その采女を祀っているのが、猿沢池のほとりにある采女神社です。 采女のふるさと福島県郡山市にも采女神社があり、采女祭が開催されているそうです。奈良の大和郡山ではないので、念のため。石碑の写真は、クリックで文字が読めるくらいには拡大します。 今年の采…

続きを読む

風のゆくえ

和歌浦の不老橋です。海から風が吹いてきて、水面が揺れはじめました。この風は、どこに行くのかな? 風はすぐに、近くの鏡山にぶつかって四散します。その一部は「和合の松」の下をかいくぐって、塩竃神社の小さな境内に侵入してゆきます。 ご祭神は塩槌翁尊(しおつつのおじのみこと)で、海産物と安産の神様だということです。海産物と安産の関係が、よくわかりませんが、魚は安産ということなのかな?…

続きを読む

門の中の二人・・・?

春日大社の巫女さんにどうしても視線がいきますが、彼女たちが向かっている内侍(ないし)門の中で若い二人が説明板を読んでいるところです。 新薬師寺の南門で、右か左かどちらから廻ろうかと思案中のようですね。 ・・・本当は次の鹿の写真だけで・・・雨が小粒の真珠なら・・・『雨の中の二人』としたかったのですけど・・・ 天神社付近の坂道で足を滑らしピンボケ気味なので、「雨」が「門…

続きを読む

漢国神社

漢国神社という名に相応しく、境内には中国原産の木香薔薇(モッコウバラ)が植えられています。撮影日は5月3日ですが、ちょうど見頃でした。ところでこの漢国神社、どのように読むのかご存知ですか? 漢国神社は、「かんごうじんじゃ」と読みます。近鉄奈良駅からほど近い、やすらぎの道沿いにあります。地名も漢国町☆^^ やすらぎの道に面した一の鳥居から少し進むと、まるでお寺のような門があ…

続きを読む

春日大社の砂ずりの藤

砂ずりの藤を見るのをうっかり忘れていたので、5月7日になって慌てて出向きました。生憎の雨模様でしたが、そのおかげで人出が少なかったのは幸いです。重要文化財の南門です。 中に見えている建物は拝殿ではなく、これも重要文化財の幣殿(へいでん)と舞殿(ぶでん)です。確か建物の東側が幣殿で西側が舞殿だったと思いますが、詳しくは春日大社のHPをご覧になってください。 世界遺産 春日大社公式HP …

続きを読む

赤とレッドは違う色?

お稲荷さんの境内で、落葉樹の紅葉を撮った写真です。赤い色にも紅・緋・丹・朱色などのさまざまな色があって、並べてみると色の違いがよく実感できます。 細かい色の違いをWikipediaで調べようとしたら、意外なものが目に飛び込んできました。赤とREDは同じ色かと思いきや、JIS規格ではまったく違う色なんですね。色見本を比較してみると、その差は明らかです。 Wikipedia 赤 赤とレ…

続きを読む

わら人形と少女~ちょっと怖いパーツ~

わら人形というと、丑の刻参りを連想してしまいますね。このパーツは形こそ丑の刻参りのわら人形ですが、お祓い用とのことです。連打するとサイト内に潜む悪霊が飛び出してくる仕掛けが、とってもユニークですよ。 さらに凝っているのが、何種類もの悪霊が用意されていることです。同じ画面では何度連打しても同じ悪霊ですが、画面を変えてみると違う悪霊が出現します。いったい、何種類あるのでしょうか。 こ…

続きを読む

歌姫大神と木の葉大明神

歌姫大神や木の葉大明神と彫られている、なかなかユニークな石碑があります。そんな神様がいたのかなぁと、ちょっと考えてしまいますね。 石碑の裏には、建立年月も彫られていました。そんなに古いものではなく、歌姫大神が昭和31年11月3日。木の葉大明神が、昭和48年7月吉日と彫られています。吉日と彫られていることから、墓碑ではなく記念碑のようなものではないでしょうか。以前ご紹介した秋葉山の大権現…

続きを読む

秋葉大権現~遠州から紀州へ~

秋葉大権現と言えば、遠州の秋葉山本宮秋葉神社(静岡県浜松市天竜区)が最も有名です。和歌山市内の秋葉山にある秋葉大権現も、もちろん遠州秋葉山と深い関わりがあります。 秋葉山は元々は弥勒寺山と言われ、戦国末期には雑賀衆の弥勒寺山城があったとされています。秋葉山と呼ばれるようになったのは、江戸時代にこの秋葉大権現が安置されてからのようですね。 秋葉大権現堂は曹洞宗五百羅漢寺の敷地内に建…

続きを読む

檜皮の葺き替え~和歌浦天満宮~

和歌浦天満宮(正式には天満神社)ご本殿の檜皮が老朽化していましたが、その檜皮の葺き替え工事が終了しました。今、檜皮葺きはヒノキの大木の減少と、檜皮を採取する原皮師(もとかわし)の後継者不足という難問を抱えています。 それゆえに檜皮は高価になりすぎて、やむなく銅板葺きに変更せざるを得ないケースも多くなってきているようですね。檜皮について関心のある方は、次の日本特用林産振興会のHPに詳しい説明…

続きを読む

桜のご神紋~和歌山縣護国神社~

和歌山城内南西の一角にある、和歌山縣護国神社です。全国各地にある護国神社は、かつて招魂社と呼ばれていました。ちなみに日本最初の招魂社は慶応元年(1865年)の建立で、高杉晋作の遺品が幾つか所蔵されている櫻山神社(山口県下関市)だそうです。 招魂は一時的な祭祀だけを指すので恒久的な社の名称として相応しくないとの理由から、東京招魂社がいち早く明治12年(1879年)に靖国神社と改称しています。…

続きを読む

丹生神社と水銀伝承

丹生神社は丹生という地名とともに、日本の各地にあります。丹生という名称は水銀との関わりがとても深く、現在は廃鉱山となっている伊勢の丹生鉱山(三重県多気郡多気町)が最も有名な水銀鉱山でした。驚いたことに縄文の時代から、水銀を採掘していたと伝えられています。 ここは和歌山市明王寺にある丹生神社で、ご祭神は女神の丹生都比売命(にうつひめのみこと)です。和歌山県内にも丹生都比売命を祀る神社はい…

続きを読む

弁財天堂に吹く風

生垣に埋め込まれたような、小さな明神鳥居。鳥居越しに見える石塔は、なんと・・・墓石?その石塔には、三葉葵のご紋が彫り込まれています。ここは、かつて雑賀城のあった妙見山北麓にある、養珠寺境内の弁財天堂です。 弁財天は元々ヒンドゥー教の女神で、音楽の神さまです。いつの頃からか弁才天の名で、技芸を司る天部として仏教経典に取り込まれたわけです。「才」が「財」に通じるところから、これまたいつの間にか…

続きを読む

一直線上の三部権現

ここにも木立を利用した光と影の演出が、見事になされています。根来寺大門から境内へ向かう途中にある三部権現です。三部権現とは、これまた聞き慣れない神様ですね。この鳥居の一直線上には、あるものがあります。写真で順次後ずさりしてみましょう。 興教大師覚鑁上人が根来寺守護の神として、高皇産霊神や事代主神などの神祇官八神を勧請したそうです。八神をさらに金剛部・仏部・蓮花部の三部に分けて、三部権現…

続きを読む

ある石灯篭の眠り猫

ある時は、「眠り猫」。(笑っているようにも見えますが、眠っているだけです。) また、ある時は、「招き猫」。(ここは神社の入口付近の石灯篭なのです。) しかして、その実体は・・・ご覧のとおりの「ぐうたら猫」であります。が・・・。 この猫がこの石灯篭で寝ている限り、どんなに暗い曇り空でも雨は降らないのです。「天気予報猫」?猫は水に濡れるのを嫌がりますので、雨の予報に関し…

続きを読む

侍坂のむこうに~紀州東照宮(後編)~

権現山の中腹にあるご本殿には、108段の侍坂(さむらいざか)を登ります。ここから楼門を見上げると、門の中がまばゆく光輝いて見えますね。侍坂は源頼朝の鶴岡八幡宮造営時の故事にならい、南竜公が自ら指揮を執って士分以上の侍だけで組み上げたことに由来します。 国指定重要文化財の楼門です。楼門の中の光が、だんだんと強くなってきたように感じますね。このような光の効果も、あらかじめ計算されて造られて…

続きを読む

和歌浦随一の名所~紀州東照宮(前編)~

和歌浦の紀州東照宮です。関西の日光と称され、和歌浦随一の名所とされてきました。名匠左甚五郎の彫刻や、狩野探幽の襖絵があります。西日光の代名詞は尾道生口島の耕三寺にとられて、ちょっと影が薄いようですね。 ご祭神は東照宮ですから、もちろん東照大権現徳川家康公です。あわせて、南竜公と敬称された徳川頼宣公が、南龍大神として祀られています。 境内入り口の灯篭にも、紀州葵のご紋が散りばめ…

続きを読む

献氷祭~奈良氷室神社~

5月1日は、春日野にある氷室神社の献氷祭です。近くということもあり、少しだけ覗いてきました。最初の献氷祭は和銅4年(711年)6月1日に、元明天皇の勅祭として実施されたという古い歴史のあるお祭です。 ここには樹齢400年の見事なしだれ桜がありますが、今年はその存在を知らなかったこともあって見逃してしまいました。聞くところによりますと、奈良市内で最も早く咲く桜なんだそうですね。 …

続きを読む

岩根椿

道を歩いていてふと発見した椿ですが、立札がついていて「岩根椿」と書いてありました。 これがその立札で、「岩根椿 ニ一八 湘友会」と記されています。場所は和歌山城内のはずれにある護国神社の参道で、ちょうど鳥居の正面辺りに咲いていました。 花の色が変化するという、「岩根絞り」という名はどこかで聞いた覚えがありますが・・・ 「岩根椿」と「岩根絞り」は、どう違うのでしょ…

続きを読む

梅花紋と梅鉢紋~名残の梅~

天満宮の代表は、やはり大宰府天満宮と北野天満宮がその両雄です。どちらも独立の創建経緯を持っており、勧請関係もなくそれぞれ天神信仰発祥の地とされています。両雄並び立たずとよく言われますが、両雄が並び立っている良い一例ですね。 では、昨日の続きです。和歌浦天満宮のこの灯篭の紋は、梅鉢紋に分類されます。梅紋は梅花紋と、梅鉢紋に大別できます。梅花紋は写実的で美しく、梅鉢紋は円の集合体のように図形化…

続きを読む

名残の梅~和歌浦天満宮~

梅の花もそろそろ終わりですので、名残の梅を観に和歌浦天満宮に寄ってみました。ご本殿前の梅です。もうほとんど散っていますが、枝先でこれから咲こうとする蕾もまだあります。 参拝の前には・・・。モ~モ~ちゃんに、ご挨拶を。この牛の像は、臥牛と呼ばれています。牛は神(菅原道真公)の使いとして、臥牛像が設置されるようになったとのことです。 なぜ牛なのかは、諸説入り乱れた百家争鳴の状態ですね…

続きを読む

とある一日

ある日の朝から夜までを、連続の3コマで・・・。(当初は暗闇を含めた4コマでしたが、3コマに編集いたしました。) 稀にみる、超手抜きでしたね~♪でも、なにかが、違うようですね? mikomai       目次

続きを読む

千木と堅魚木

神社のご本殿の屋根に注目してください。飾りが付いているのに、お気づきになると思います。千木(ちぎ)と、堅魚木(かつおぎ)です。屋根の両端にあって、破風板の伸びたものが千木です。堅魚木は屋根の葺きを守る押さえで、鰹節に似ているのが語源のようですね。 蟻通し伝説では、蛇の雌雄の見分け方が出てきました。その神様バージョンです。千木の形状と堅魚木の本数で、男性神か女性神かのあたりがつけやすくなりま…

続きを読む

蟻通(ありとおし)伝説

和歌山県伊都郡かつらぎ町にある、蟻通(ありとおし)神社です。このほかに大阪府泉佐野市と和歌山県田辺市にも、蟻通神社があります。蟻通伝説も内容は大同小異ですが、微妙に異なっています。 神社ご由緒の石碑がありましたので、ご覧ください。(画像クリックで拡大します。)ご祭神にもご注目ください。ここでは七曲の玉で法螺貝のケースもありますが、解決方法は同じやりかたです。 紀貫之の「蟻通明…

続きを読む

玉津嶋神社

たちかえり またも此の世に 跡たれむ 名もおもしろき 和歌の浦波 (衣通姫神詠) 蝋梅越しに見えている、朱色の両部鳥居が玉津嶋神社です。 まずは御由緒をご覧下さい。記紀の時代に絶世の美女といわれた、衣通姫(そとおりひめ)が合祀されています。 んっ?衣通姫だけでなく、小野小町伝説もあるの?この塀は厚みはありますが、すごく低い塀です。袖掛けの塀、この伝承をご存知の方は、教え…

続きを読む

苔の橋

苔でできた橋ではなく、苔に覆われた橋のことです。この道は、苔の橋に続く道です。苔の橋は、この静かな森の中にあります。 池にかかる橋が見えてきました。この角度からでは、ただの汚い橋に見えますね。ここを通る人はほとんどなく、鳥の声しか聞こえません。 これが、苔の橋です。橋の上がびっしりと、苔で覆われています。ところどころに、どんぐりの実が埋っています。苔の絨毯といった感じです。 …

続きを読む

雪の丹生都比売神社

天野の里にも雪が降り積り、すっかり雪化粧した今日の丹生都比売神社です。 この丹生都比売神社は、紀伊国一の宮です。同時に、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する世界文化遺産でもあります。 この鳥居の形は、両部鳥居(りょうぶとりい)という形です。 太鼓橋にも雪が降り積もり、危険ですので今日は通行禁止となっています。 太鼓橋の近くの池も、ご覧の通りの雪景色です…

続きを読む

弁財天山

現在は天妃山と表記され、別名を弁財天山ともいいます。宗像三女神の内の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を、お祀りしています。航海安全の神様です。この写真のお社は明治以後に再建されたもので、本来の弁財天社は刺田比古神社境内にあります。和歌山城築城時に城を見下ろす位置に弁財天社があったため、遷座されたようです。 次の写真は刺田比古神社境内に、末社として祀られている本来の弁財天社です。この…

続きを読む

和歌浦天満宮

今日は和歌浦の章魚頭姿山(たかずしやま)に登りました。その道中にある和歌浦天満宮にも参拝しました。和歌浦天満宮は通称で、正式には天満神社というようですね。楼門までは、この急な石段を上らなければなりません。 和歌浦天満宮は、天正13年(1585年)に豊臣秀吉の紀州攻めで焼失します。慶長10年(1605年)に当時の紀州藩主浅野幸長侯により再建されました。入母屋造本瓦葺で禅宗様を取り入れた珍…

続きを読む