奈良奉行所跡

ならまちにある奈良市立史料保存館には、奈良奉行所の復元模型があります。 奈良奉行は江戸時代に置かれた遠国奉行のひとつで、役高1000石・役料700俵の役職。幕府の旗本が任命され、南都大寺院の監視とならまち・きたまちを支配していました。 四方を掘に囲まれた、ほぼ正方形の敷地だったわけですね。ここに奈良奉行所と、奈良奉行の役宅があったわけです。現在は、どうなっているかというと。。…

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高台寺夜間拝観

京都東山にある鷲峰山(じゅぶざん)高台寺です。前々回の竹林は、高台寺付近の竹林でした。 撮影日を見ると、昨年の11月15日となっています。秋の夜間拝観の時のものですね。昨年からアップロードされた状態のまま、お蔵入りになっていました。その中から、ほんの数枚だけ。。。 高台寺は豊臣秀吉の御正室北の政所が、秀吉没後出家して高台院湖月尼として開いた寺です。出家以前の名は「ねね」が普通の呼…

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猊口石と李梅渓

猊口石は、ゲイコウセキと読みます。なにやら虎目石のような名称ですが、ご覧の通りの大きな岩です。 和歌山市指定の史跡ですので、都合の良いことに和歌山市教育委員会の説明板があります。写真をクリックすると多少拡大しますので、読みやすくなるかと。。。 こちらが、その李 梅渓(りばいけい)の筆となる顕彰文字ですね。李 梅渓は紀州藩の儒者として、二代藩主光貞公の学問の師でした。後に光貞公…

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了法寺~三浦長門守の菩提寺~

和歌山市坂田にある天台宗寺院日正山了法寺は、紀州藩家老三浦長門守の菩提寺です。大名の家臣ながらも長門守の職名は正規のものであって、徳川御三家と加賀前田家の家老に許された特権です。 三浦家は石高も優に一万石を超えていますから、実質は大名と何ら遜色はありません。ただ、身分が紀伊徳川家の家老ですので将軍家からみると陪臣の扱いとなり、万石陪臣という範疇に分類されることになります。 三…

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六道の辻で待ち合わせ?~参議 小野篁~

車窓から撮ったスナップ写真ですが、六道の辻という言葉から何を連想しますか?六道とは仏教上の概念で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六界を指します。たとえ天上界といえども寿命があって輪廻を繰り返すわけで、俗に輪廻六道といわれています。 「六道の辻」という言葉で連想したのは、参議小野篁(おのの たかむら)という平安初期の人物です。百人一首の次の歌の作者としても有名ですね。 わ…

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江戸城芙蓉之間

芙蓉之間というと、なんとなく豪華絢爛なイメージがありますよね。江戸城にも芙蓉之間がありましたが、どのように使われた部屋だったのでしょうか。。。 芙蓉之間は諸大名の伺候席ではなく、主に旗本の役職者の伺候席だったようです。大名監視役の大目付や江戸町奉行など老中支配の役職者の伺候席で、奈良奉行や長崎奉行など遠国奉行の伺候席もこちらになります。 芙蓉之間詰には寺社奉行や奏者番も含まれるよ…

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組匠の里

伊賀市四十九町にある『組匠の里』です。伊賀くみひもセンターのことですが、『組匠の里』というネーミングがとても粋ですね。1Fはくみひもの展示・販売コーナーで、2Fが「伝統伝承館」、3Fが組紐体験ができる「くみひも道場」となっています。 今回はその「伝統伝承館」から組み紐を組むための組台だけを、ざっとご紹介したいと思います。伊賀くみひもについての簡単な説明ボードがありましたので、さっそく引…

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玉簾と南京玉すだれ

時代劇のファンなのでタマスダレの花を見ると、どうしても「南京玉すだれ」をイメージしてしまいます。この両者の名の由来が、前から気になっていましたので。。。 まずは、「南京たますだれ」から。日本南京玉すだれ協会のHPという、うってつけのサイトがありました。そちらから「南京たますだれ」の歴史を抜粋させていただくと、次のようになります。 日本南京玉すだれ協会 南京玉すだれの歴史     …

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納屋河岸~市堀川に沿って~

江戸時代に納屋河岸(なやがし)と呼ばれた場所に石碑が建てられていて、そこには『紀伊国名所図会』の納屋河岸が描かれています。この絵の隣には詳しい説明がありましたので、原文のまま転記しておきます。  和歌山城の外堀でもある堀川の北岸、京橋北詰の米屋町から西側は納屋河岸と呼ばれる荷揚場であった。納屋浜とも称し、米問屋や米倉が軒を並べていた。  納屋河岸の北側の駿河町・福町・ト半町(ぼくはん…

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鍵屋の辻

日本三大仇討のひとつに、鍵屋の辻の決闘があります。主役は備前岡山藩士の渡辺数馬と、その姉婿の大和郡山藩士荒木又右衛門でしたね。伊賀上野第3弾は、この鍵屋の辻です。 こちらに説明板がありますので、興味のある方だけご覧ください。字がアラビア文字のように見える方は、クリックすると拡大いたします。 残念ながら西岡たかしさんの『上野市』のYou Tubeが、見つかりませんでした。最後あ…

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蛙と狸の安全祈願

伊賀上野の第2弾です。これは、ご存知の無事カエル。でも、ここは寺社仏閣とは違うようですよ。 続いて登場するのは、信楽焼のポンポコ狸。あれれ?信楽は甲賀の里にあるのでは。。。? 伊賀上野と信楽は笹ケ岳を挟んで、こんな感じで背中合わせの位置にあります。ふたつの忍びの里は、意外と近かったわけですね。 無事カエルと信楽タヌキが、狛犬か金剛力士のように並んでいますよ。はい、ここは…

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湊御殿~紀州徳川家別邸~

紀州徳川家の別邸、湊御殿です。現存しているのは寝殿部分だけで、養翠園に移築保存されています。養翠園の第3弾ということになります。 今回は都合の良いことに和歌山市教育委員会の説明板がありましたので、写真の間に原文のまま引用することにいたしましょう。では、説明板さん、よろしくお願いいたします。 湊御殿(みなとごてん) 和歌山市指定文化財(建造物)1棟 昭和42年2月14日指定 湊御殿は…

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徳川四天王検定

Yahoo!のみんなの検定というコーナーに、徳川四天王検定なるものがありました。この検定シリーズは、ブログパーツとして表示できるのでたいへん便利ですね。 徳川四天王検定 これは得意分野でしたので、全問正解でした。ほかにも色々とマニアックな検定があって、難問だらけで一問もできなかったものもあります。 mikomai       目次 一ヶ月近く休眠していたため、頭がすっかり鈍っ…

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秋葉大権現~遠州から紀州へ~

秋葉大権現と言えば、遠州の秋葉山本宮秋葉神社(静岡県浜松市天竜区)が最も有名です。和歌山市内の秋葉山にある秋葉大権現も、もちろん遠州秋葉山と深い関わりがあります。 秋葉山は元々は弥勒寺山と言われ、戦国末期には雑賀衆の弥勒寺山城があったとされています。秋葉山と呼ばれるようになったのは、江戸時代にこの秋葉大権現が安置されてからのようですね。 秋葉大権現堂は曹洞宗五百羅漢寺の敷地内に建…

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大和国中と甲斐国中

大和と甲斐にある中学校名ではなく、どちらも古くからの地方名ですが読み方が異なります。地域的には概ね奈良盆地と甲府盆地を指し示し、一国の中央部を表現しています。 大和国中は「やまとくんなか」と読み、甲斐国中は「かいくになか」と読みます。「くんなか」は、「くになか」の訛った形だと思われます。関西人にとっては、「くんなか」のほうがしっくりくるようですね。 この国中に対応する地域名もあり…

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紀州大泉寺~甲州から招かれた、芸州侯の菩提寺~

紀州・甲州・芸州と、三ヶ国も名前が出てくるのでややこしいですね。ここは和歌山市吹上にある、曹洞宗曹源山大泉寺です。江戸幕府開闢当時の紀州藩主は、浅野幸長(よしなが)公でした。豊臣秀吉の正室高台院(ねねorおね)の義弟、浅野長政の嫡男に生まれます。長政公は、豊臣政権の五奉行だった方ですね。 父長政から甲斐22万石を相続した当時、甲府にある大泉寺が浅野家の菩提寺でした。もともと甲州の大泉寺は武…

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水色の桔梗紋~花も花なれ人も人なれ~

道端に咲いていたユリの花を撮ろうとして、偶然に見つけた桔梗の花です。ほら、ユリの向うに小さく写っているでしょう。この桔梗は、水色ではありません。水色の桔梗は、サブタイトルのほうに関連があります。 桔梗紋は清和源氏源頼光の流れを汲む、美濃源氏土岐氏の代表家紋です。土岐氏は室町時代に美濃の守護大名だったので美濃一国に蔓延し、隣国の飛騨でも多く使われました。まさに、岐阜県の代表紋と言っていい…

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勝海舟寓居地の石碑

勝海舟ほど人物評価が、極端に分かれる人も珍しいですね。その勝海舟が、和歌山に来ていたことすら知りませんでした。勝安房守義邦が幕末期の正式な名乗りで、海舟は号なんです。写真の石碑には、こう記されています。 文久3年 軍艦奉行勝安房守 紀州藩海岸防衛工事監督のため 幕府より和歌山に派遣せられし時 此処に寓居す 時に門下坂本龍馬も亦来りて事に従ふ 海舟が神戸操練所の運営をしていた頃ですので、神…

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三浦長門守屋敷跡から

和歌山城の大手門である一の橋御門を、五番丁付近から撮影したものです。番丁という地名は、和歌山城の三の丸であった場所を表しているんですよ。基本的には町名に丁が付くと武家地を、町なら町屋地域を示しています。 正面からではなく、斜めからの撮影には理由があります。紀州藩家老三浦長門守の屋敷跡から見た、和歌山城の光景を再現してみたかったので。現在の五番丁、六番丁から十番丁にまたがる、広大な屋敷だった…

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暴れん坊将軍生誕の地

この石碑の建つ場所に、かつて紀州徳川家の吹上(ふきあげ)御殿があったようですね。紀州藩五代藩主から八代将軍になられた徳川吉宗公は、この吹上御殿で生まれたと伝えられています。 ちょっと、画像が小さいですが、詳しくは次の案内板をご覧ください。 世に名高い暴れん坊?(米)将軍生誕地の石碑は、このような狭い所にひっそりと建っています。でも決して、寂しくはないのですよ。この白い塀の続き…

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茄子の花

茄子の花の写真一枚だけを載せて省エネ更新するつもりでしたが、ふと茄子の花言葉ってあるのかなぁ?と思ったのが運の尽きとなりました。調べてみると、出てきましたよ。わんさかと・・・。 「よい語らい」「優美」「希望」「真実」「慎ましい幸福」というのが、多くかったですね。中でも最大公約数的に出現した「慎ましい幸福」というのが、いかにも茄子らしい花言葉のように思います。 ここで茄子の新花言葉を、…

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報恩寺~紀州徳川家菩提寺~

ここは和歌山市吹上にある、紀州徳川家の菩提寺のひとつ報恩寺です。紀州徳川家の菩提寺としては歴代藩主の眠る長保寺が有名ですが、この報恩寺には紀州家の奥方様が眠っておられます。初代藩主頼宣公のご正室瑶林院様の菩提を弔うため、2代藩主光貞公が建立したものです。 瑶林院様は肥後国熊本で、虎退治で有名な加藤清正公の娘として生まれました。八十姫と呼ばれた才色兼備の方で、藩主頼宣公のご正室として紀州…

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献氷祭~奈良氷室神社~

5月1日は、春日野にある氷室神社の献氷祭です。近くということもあり、少しだけ覗いてきました。最初の献氷祭は和銅4年(711年)6月1日に、元明天皇の勅祭として実施されたという古い歴史のあるお祭です。 ここには樹齢400年の見事なしだれ桜がありますが、今年はその存在を知らなかったこともあって見逃してしまいました。聞くところによりますと、奈良市内で最も早く咲く桜なんだそうですね。 …

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槍ヶ岳の開祖 播隆上人

JR松本駅前にある、播隆(ばんりゅう)上人像です。新田次郎作品の『槍ヶ岳開山』のモデルになった、浄土宗の僧侶ですね。槍ヶ岳の開祖として、よく知られています。 まず、笠ケ岳の再興を成し遂げた播隆上人は、残る人生のすべてを槍ヶ岳の登山道整備に費やします。念仏行者として、槍ヶ岳に昇るご来光に阿弥陀如来を感得したのでしょうね。 以前「JAL2271便~鳥のように~ 」で掲載したもので…

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朱雀が翔ぶ如く

古代中国の天文学では宇宙を二十八宿とし、東西南北の各七宿に分割しています。七宿の星をつなげて、龍・虎・鳥・亀という動物に見立てました。さらに五行説の発達に伴い、それぞれに色が配色されます。 中央は土で黄色、東方は木で青色。西方は金で白色。南方は火で赤色。北方は水で黒色です。何か木と水の色の組み合わせが、ちょっと不思議ですね。 東方七宿は青龍。西方七宿は白虎。南方七宿は朱雀。北方七宿は…

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旧司祭館~松本市~

道路の中央に鎮座するご神木(?)の右手は、以前ご紹介した旧開智学校ですね。今回は左手の青いアーリーアメリカン風の建物に寄ってみましょう。 この建物は、旧松本カトリック教会司祭館です。設計はなんと、初代のクレマン司祭さん自らの設計なんですよ。いつもの例によって、詳しい説明は松本市の公式ホームページをご覧ください。 松本市公式HPくるくるねっとまつもと 時間の都合で、建物の中には入って…

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関山~八重桜~

八重桜といえば、この関山(かんざん)が有名です。昨日の「光と影」では紅白の牡丹の写真に挟まれて窮屈そうでしたので、今回クローズアップいたしましょう。 呼び名はカンザンですが、学名はセキヤマなんですね。その由来が知りたくなったので、少し調べてみましたがわかりませんでした。学名に名を残した、関山さんという人物が推測されますが・・・。 関山といえば、関山慧玄(かんざんえげん)を連想…

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飛鳥残照

飛鳥と明日香は同じく「あすか」と読みますが、どう違うのでしょうか。という問い合わせが多いと、明日香村のホームページにも書かれていました。そのホームページによりますと、明日香は明日香村を指し、飛鳥はもっと広く大和三山を含む飛鳥地方を指す言葉なんだそうです。 以下のホームページには、アスカの語源まで言及されています。リンクしてありますので、興味のある方だけご覧くださいね。ただ、とてもキッズ…

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紀伊徳川四天王

紀州藩家老三浦長門守の下屋敷であった、「夜雨荘」の三月末頃の写真です。NHKの『その時歴史が動いた』で、徳川四天王が放映されました。 そこで紀伊徳川家の四天王は、いったい誰なんだろうと考えて勝手に創作してみました。今回は夜雨荘の桜を背景にした、徳川四天王のパロディです。 やってみると、意外に簡単に四天王が決まりました。まず、家康公直々に紀州家御付家老として付けられた安藤帯刀、水野…

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旧開智学校~松本市~

松本市には、日本で最も歴史のある小学校があります。明治6年(1873年)開校の、開智学校です。当初はこの建物すらなく、廃寺の建物から出発したようです。 松本市役所の公式HPの『くるくるねっとまつもと』に、写真入りで説明板よりもさらに詳しい説明があります。リンクしましたので、興味のある方はご覧ください。 重要文化財旧開智学校 この校舎は明治9年(1876年)に完成し、昭和36年に…

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